戦後の昭和29年(1954)頃から既設私立医科大学学長・病院長が一堂に会し、大学並びに病院の運営に関する共通の問題点を討議する学長・院長会議があり、後に現協会前身ともいうべき私立医科大学協会の例会という形に発展した。この会議と併行して、事務サイドの情報交換の場として事務局担当の部課長で形成される事務連絡協議会があり、後に管理部会に発展した。  その後、私立医科大学を取り巻く諸問題が錯綜、山積みしてくるに伴い、前記の会も定例開催となり、その議事内容も充実し、複雑多岐に至り、参加大学の会議に対する期待も増大する一方であった。

 昭和45年(1970)以来、医科大学が次々と新設されるに及び、協会の運営は、それまでの任意の月例当番方式では到底対処し得ない状況となった。そこで昭和47年(1972)8月の例会において既設医科大学(医学部)13校により、とりあえず正式に私学団体としての定款を作成し、系統的に組織を強化し、その機能を高めて各大学の要請に応えようとする方向が提案され、満場一致で賛同を得、その後、例会のたびに検討を加え、同年12月の席上で成案が最終承認を得て、会長に東京慈恵会医科大学樋口一成学長が選任された。  この間、樋口会長を中心に日本医科大学高橋末雄理事長、順天堂大学懸田克躬学長、東邦大学浅田敏雄学長の3人が主として精力的に推進の役目を果たした。樋口会長は協会将来のため、会長就任の最初の目標を正式な社団法人の認可におき、聖マリアンナ医科大学渡辺誠企画室長を補佐にして法人化推進に着手し、昭和48年(1973)2月第1回の設立発起人総会を開催し、同年3月第2回を開催し、定款案の修正可決、事業計画の具体案の検討、収支予算の再確認等を経て、4月主務官庁である文部省に設立許可申請書類一式を提出し、同年9月文部大臣から設立許可の通告があり、同年11月協会創立総会並びに祝賀会が帝国ホテルにおいて盛大に行われた。

 発足当初、事務局は順天堂大学内に置かれていたが、日本私立大学連盟岩崎芳弘事務局次長を協会事務局長に迎え、新規採用の職員と共に事務局の衝に当たることになった。  加盟大学は発足当時13大学であったが、昭和49年(1974)3月第2回春季総会において、昭和45年から47年にかけて設置された新設医科大学(医学部)の13大学の加盟が承認され、加盟大学26大学となり、同年5月、第3回臨時総会にて新設医科大学2校の加盟を承認して加盟校28大学となる。昭和53年第14回春季総会にて新設医科大学1校の加盟が承認され全私立医科大学(医学部)29校の加盟となり現在に至る。