医大協について
法人情報
概要
法人名称 | 一般社団法人 日本私立医科大学協会 |
所在地 | 〒102-0073 東京都千代田区九段北4-2-25 私学会館別館1階 アクセスマップはこちら |
行政府 | 内閣府 |
設立年月日 | 昭和48年9月21日 |
事業組織図 | 詳細を見る |
総務・経営部会組織図 | 詳細を見る |
病院部会組織図 | 詳細を見る |
事業目的
わが国の私立医科大学は29を数え、教育・研究・診療の機関としてそれぞれ特色ある活動を示している。私立医科大学はわが国医学教育の約40%を担い、高度な研究水準のもとに医療の第一線で活躍する医師を多数育成して社会に送り出し、その附属病院はわが国医療の中核的病院であるばかりではなく地域社会の要請にも応えている。
一般社団法人 日本私立医科大学協会は、これら全ての私立医科大学が集結して創立した教育事業団体であって、固い団結と相互の信頼協力のもとに、医学・医療をめぐる諸問題に真摯に取り組み、その改善・解決に努力することを目的としている。
事業内容
今日、私立医科大学における医学・医療をめぐる環境は極めて厳しいものがあり、医学教育改革(卒前・卒後)、医学研究体制の整備・充実をはじめとして大学病院医療のあり方等々数多くの極めて困難な問題に直面している。これらの諸問題は何れも私立医科大学の財政にますます負担を強いる結果となり、大学財政は重大な危機を迎えているといっても過言ではない。かかる現状を打開するために当協会は、加盟全大学の総力をあげてその対応に取り組んでいるところである。
さらに、国民の疾病構造の変化、高齢化社会の到来、医療に対する国民のニーズの多様化、医師数削減の問題など複雑多岐にわたる医療環境の変化にも対応するなど、私立医科大学および大学附属病院の役割と責任はいよいよ重大である。
このような状況を考えるとき、当協会は医科大学関係者の意見集約に今後は止まることなく、広く各分野で活躍される人々との対話を深めることにより、私立医科大学における現状に対する理解と支持を集めて大学所期の目的達成に向けて邁進することとしている。
沿革
戦後の昭和29年(1954)頃から既設私立医科大学学長・病院長が一堂に会し、大学並びに病院の運営に関する共通の問題点を討議する学長・院長会議があり、後に現協会前身ともいうべき私立医科大学協会の例会という形に発展した。この会議と併行して、事務サイドの情報交換の場として事務局担当の部課長で形成される事務連絡協議会があり、後に管理部会に発展した。
その後、私立医科大学を取り巻く諸問題が錯綜、山積みしてくるに伴い、前記の会も定例開催となり、その議事内容も充実し、複雑多岐に至り、参加大学の会議に対する期待も増大する一方であった。
昭和45年(1970)以来、医科大学が次々と新設されるに及び、協会の運営は、それまでの任意の月例当番方式では到底対処し得ない状況となった。そこで昭和47年(1972)8月の例会において既設医科大学(医学部)13校により、とりあえず正式に私学団体としての定款を作成し、系統的に組織を強化し、その機能を高めて各大学の要請に応えようとする方向が提案され、満場一致で賛同を得、その後、例会のたびに検討を加え、同年12月の席上で成案が最終承認を得て、会長に東京慈恵会医科大学樋口一成学長が選任された。
この間、樋口会長を中心に日本医科大学高橋末雄理事長、順天堂大学懸田克躬学長、東邦大学浅田敏雄学長の3人が主として精力的に推進の役目を果たした。樋口会長は協会将来のため、会長就任の最初の目標を正式な社団法人の認可におき、聖マリアンナ医科大学渡辺誠企画室長を補佐にして法人化推進に着手し、昭和48年(1973)2月第1回の設立発起人総会を開催し、同年3月第2回を開催し、定款案の修正可決、事業計画の具体案の検討、収支予算の再確認等を経て、4月主務官庁である文部省に設立許可申請書類一式を提出し、同年9月文部大臣から設立許可の通告があり、同年11月協会創立総会並びに祝賀会が帝国ホテルにおいて盛大に行われた。
発足当初、事務局は順天堂大学内に置かれていたが、日本私立大学連盟岩崎芳弘事務局次長を協会事務局長に迎え、新規採用の職員と共に事務局の衝に当たることになった。
加盟大学は発足当時13大学であったが、昭和49年(1974)3月第2回春季総会において、昭和45年から47年にかけて設置された新設医科大学(医学部)の13大学の加盟が承認され、加盟大学26大学となり、同年5月、第3回臨時総会にて新設医科大学2校の加盟を承認して加盟校28大学となる。昭和53年第14回春季総会にて新設医科大学1校の加盟が承認され全私立医科大学(医学部)29校の加盟となり現在に至る。
その後、私立医科大学を取り巻く諸問題が錯綜、山積みしてくるに伴い、前記の会も定例開催となり、その議事内容も充実し、複雑多岐に至り、参加大学の会議に対する期待も増大する一方であった。
昭和45年(1970)以来、医科大学が次々と新設されるに及び、協会の運営は、それまでの任意の月例当番方式では到底対処し得ない状況となった。そこで昭和47年(1972)8月の例会において既設医科大学(医学部)13校により、とりあえず正式に私学団体としての定款を作成し、系統的に組織を強化し、その機能を高めて各大学の要請に応えようとする方向が提案され、満場一致で賛同を得、その後、例会のたびに検討を加え、同年12月の席上で成案が最終承認を得て、会長に東京慈恵会医科大学樋口一成学長が選任された。
この間、樋口会長を中心に日本医科大学高橋末雄理事長、順天堂大学懸田克躬学長、東邦大学浅田敏雄学長の3人が主として精力的に推進の役目を果たした。樋口会長は協会将来のため、会長就任の最初の目標を正式な社団法人の認可におき、聖マリアンナ医科大学渡辺誠企画室長を補佐にして法人化推進に着手し、昭和48年(1973)2月第1回の設立発起人総会を開催し、同年3月第2回を開催し、定款案の修正可決、事業計画の具体案の検討、収支予算の再確認等を経て、4月主務官庁である文部省に設立許可申請書類一式を提出し、同年9月文部大臣から設立許可の通告があり、同年11月協会創立総会並びに祝賀会が帝国ホテルにおいて盛大に行われた。
発足当初、事務局は順天堂大学内に置かれていたが、日本私立大学連盟岩崎芳弘事務局次長を協会事務局長に迎え、新規採用の職員と共に事務局の衝に当たることになった。
加盟大学は発足当時13大学であったが、昭和49年(1974)3月第2回春季総会において、昭和45年から47年にかけて設置された新設医科大学(医学部)の13大学の加盟が承認され、加盟大学26大学となり、同年5月、第3回臨時総会にて新設医科大学2校の加盟を承認して加盟校28大学となる。昭和53年第14回春季総会にて新設医科大学1校の加盟が承認され全私立医科大学(医学部)29校の加盟となり現在に至る。